文献への登場
そばは、縄文時代の遺跡から発見されており、数千年前というはるか昔から食されていたと考えられます。
今のような、麺(そば切り)にして食べる風習は、いったいいつから始まったのでしょう?1643年に発刊された日本最初の料理本である『料理物語』に「そば切り」の作り方が載っています。ですので、これ以前であることは明白ですね。
そば文化は、江戸で花開いたと言われています。1751年に、江戸のそば文化を網羅した『蕎麦全書』が発刊されており、この本から江戸の人々がいかにそばを愛していたかがうかがえます。
では、発祥の地に関する最も古い文献はというと、1645年の俳書『毛吹草』に「そば切りは信濃国の名物。当国よりはじまる。」とあります。
一方、1704 ~1710の雑録『塩尻』尾張藩天野信景著では、「そば切りは甲州よりはじまる。」とあります。
同じころの1706年の『風俗文選』には「信濃国本山宿より、あまねく国々に」とあります。
どうも「信濃の国」と「甲斐の国」発祥説が有力ということでしょうか。そして、平成6年に定勝寺(長野県木曽郡)で発見された文献には、1574年の仏殿修理時にそば切りを振舞ったという記述があります。これが現在のところ最古の記述となります。
大阪発祥説とは
1849年に刊行された「日本二千年袖鑒(そでかがみ)」に、1584年大阪で「津国屋」(もしくは「和泉屋」)というそば屋が開店したとの記述があります。
店の場所の通称から「砂場」という屋号が生まれ、1730年の「絵本御伽品鏡」、1798年の「摂津名所図会」には「砂場 いずみや」の暖簾が描かれた絵入りで文が載せられています。
「砂場」は、その後江戸に移り現在の老舗蕎麦屋となり、大阪は、そば切り発祥の地の候補となっています。(江戸の老舗として有名なのは、「砂場」「藪」「更科」です。)
1622年「松屋会期」(奈良)や1624年「資勝卿日記」(京都)など、そば切りを食したとの記述があり、室町時代には、近畿から関東まで広くそば切りが食べられていたということですね。
まとめ
そば切りは、どこかの料理人が試行錯誤を繰り返して発明したものと思います。文献に登場するのは、かなり広まってからのことでしょう。
発祥の地については諸説あり、はっきりとは言えないようです。個人的な見解ですが、文献に「はじまる」と書かれたということは、何かしらの伝聞が残っていたということでしょう。火のないところに煙は立たずといいます。やはり信州あたりが可能性が高いのではないでしょうか。
『蕎麦全書』 などを読んで、江戸の町など、昔の世界を想像するのもわくわくしますね。では(^^)/
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